うつ病を治すための個人的方法

個人的経験からうつ病の効果的な治し方について解説していく。

瞑想について

今までの記事では主に体の健康という側面について記述してきた。うつ病になった原因というのは多くの場合確かに精神的な過負荷なのであろうが、一度病的な状態にまで進行してしまった場合は、まずは失われてしまった肉体の健康を取り戻すことが第一だからだ。以前にも述べたように人間の心身は互いに関連しあっており、もし肉体の均衡が崩れてしまった場合はそれが精神的にも悪影響を及ぼす。そして、精神的な健康を取り戻すのは、精神が目に見えずとらえどころのないものであるからこそ肉体的なそれに比べて遥かに難しい。だからこそまず第一に肉体的な健康を取り戻すことで、不必要な気分の落ち込みや不安感などを和らげ、目に見えない精神を強力に支えてやる必要があったのである。

 

当たり前のことではあるが、人間は決して肉体のみで成り立っているのではない。そしてうつ病の原因もまた、肉体的な方法論のみで完全に解決させることも難しいだろう。しかし難しいのは、精神的な問題というのは個々人の生育環境や今までの経験、性向や思考など様々な要因が複雑に絡み合って成り立っているために、万人に普遍的に適応できる、合理的方法論というものが肉体的な健康の場合に比べて成り立ちにくいのである。

 

精神分析認知行動療法など、いわゆる「科学的」とされている精神療法も少なからずあるが、そのどれもが個人で行うには敷居が高すぎ、かなりの高額な費用を払って専門家を見つける必要がある。しかも精神療法が全く未発達の日本では、その専門家も信用できる人物である可能性は極めて低く、いつまで経っても効果のでない精神療法に延々に金銭を吸い取られ続ける結果になってしまう可能性が極めて高い。

 

そもそも近代科学というのは精神と物質を厳密に分けて考える二元論から成り立っているが、その内精神の部分を担当するはずだったキリスト教の文化が元から存在しないこの国では、精神を考えることを端から諦めて、唯物論のみが唯一の真理の基準になってしまっている。そんなわけであるから、精神の治療などという複雑で高度な問題を扱える人間など探そうにも探すことはできないのだ。

 

と、個々まで悲観的なことばかり並べたが、しかし、個人がまったく何の費用もかけず、自分自身の日々の実践のみで精神的な問題を解決に導いていける確実な方法というのが実はこの世界には太古の昔から存在している。それが今回紹介する瞑想法なのである。

 

オウム真理教の事件があって以降、日本では宗教的なものが危険な詐欺と同一視され、瞑想もそうした文脈のもとに、いかがわしく非科学的で取るに足らないものであると広く認識されてしまっている。しかし、カウンターカルチャー以降、東洋の伝統文化を受け入れてきた欧米各国では、瞑想法というのは個人が簡単に行うことができる精神安定法や能力開発法として相当程度に評価されている。かのスティーブ・ジョブズが若い頃に禅に憧れ、自身でも座禅を組んでいたというのは有名な話であるし、シリコンバレーでは上座部仏教の「ヴィパッサナー」を現代風に解釈し直したいわゆる「マインドフルネス」瞑想というのがここ十数年の間流行になっている。この流れが日本にも逆輸入されており、企業人の間などでも瞑想法に興味を持つ人間が徐々に増えてきているのである。

マインドフルネス - Wikipedia

 

瞑想が持つ効果については様々な説明が試みられている。最近流行りなのは、例の「モノアミン仮説」に依拠したものだろう。瞑想中に行う意図的な呼吸のリズム運動が、脳のセロトニン神経系を賦活させ、精神の安定に効果があるというものだ。しかし私自身はやはり、このような唯物的な説明が瞑想というものの本質を説明しきれているとは思わない。瞑想の実践によって触れることのできる人間の精神の深層はこのような認識を遥かに超えたものであると考えるからだ。始めの動機はうつ病の克服でも能力開発でも何でも良いが、そこから少しずつ学びを深めていくことによって、いずれはそうしたより深い部分にある精神の真実のようなものに気づいていくことができるだろう。

 

では、瞑想を行っていくことでどのような効果が見られるのか。初期段階でも実感できるものには、次のようなものがある。

 

・集中力の向上

・気分の安定

・依存からの脱却

・安眠

・思考力の向上

・記憶力の向上

・トラウマからの脱却

・ストレスを受け流す力の向上

疲労の軽減

 

これらは瞑想の本来の目的からすればまだまだ些末なものであるからしれないが、瞑想以外の方法で実現するのは非常に難しいものばかりである。全く費用をかけることなく、一日に2~30分ほどの時間を規則的に投資するだけでこれだけの見返りがあるのであるから、やらないほうが損というものだろう。

 

今回は御託が長くなってしまったので、これくらいにとどめておく。次回は誰でもやることができる具体的な瞑想の方法について紹介するつもりである。