うつ病を治すための個人的方法

個人的経験からうつ病の効果的な治し方について解説していく。

瞑想について2 瞑想のやり方について

それでは今回の記事では具体的な瞑想の方法について解説していく。瞑想法は世の中に様々あり、中には初心者が実践するのは難しいものも多々ある。よくあるイメージを使った瞑想法は特に難易度が高く、継続していくのが難しいし、座禅のようにいきなり何も考えない無の境地に入れというのもほぼ不可能に近いと言ってよいだろう。

 

ここでまず瞑想の入門編として、誰でも確実かつ簡単に実践できる手軽な瞑想法をいくつか紹介してみよう。

 

眉間凝視法

 

1、あぐらで座り背筋を伸ばす。

2、呼吸を落ち着ける。

3、目をつぶり、眉間に意識を集中する。

 

これは筆者がインドの僧院に滞在していた際、現地の僧侶から教わったもっとも簡単とされる瞑想法である。左脳と右脳のバランスを取るとか前頭前野の働きを高めるとか、色々とそれらしい説明はできそうだが、この単純な方法でも集中力を高め、瞑想の基本的な恩恵を享受するには十分すぎるほどの効果がある。

 

数息観

1、2、までは上記と同じ。

3、吐く息に意識を集中し、心の中で呼吸の数を数える。十まで数えたらまた一から数え直し、途中で数を忘れた場合も一に戻る。

 

こちらも非常に単純なやり方であるが、実は臨済宗では伝統的に行われている入門者向けの座禅法でもある。数を数えるという単純な作業に集中し続けることによって、表層的な意識の働きが弱まり、徐々に瞑想状態が深まって来るのが実感できるだろう。

 

さらにこの数息観を説いた江戸時代中期の名僧白隠禅師は、自身が修行のし過ぎから神経症を発症した時に、軟酥の法と呼ばれる臥位で行う瞑想法で治癒したと言われている。この方法は現在の催眠療法自律訓練法などで取り入れられているものと非常に近く、心身のくつろぎや各種の神経症状の緩和に確かに効果があるものと見込まれる。

 

1、布団の上に寝そべり、手と脚を軽く開いてくつろぐ。

2、呼吸を落ち着ける。

3、頭の上に芳しい香薬が乗っている所を想像する。(この軟酥というのはもともとインドで用いられるバターのようなものである。滋養に満ち、あらゆる病を癒すことができるそのようなものを想像するとよいだろう)

4、その香薬が額から目や耳や口、首筋、肩、胸、背中、など徐々に体の中を降りてくるところを想像し、下腹部を通って足の先へと抜けていくことを想像する。

 

このような方法を実践することで、全身の力を抜き、深い安楽状態に入っていくことができる。普段の無駄な緊張から来る精神症状を緩和するのにとても効果的である。

 

上記のような簡易的な方法を一~二ヶ月も続けていれば、徐々に瞑想状態に入っていく感覚が掴めていくことだろう。

 

そしてある程度瞑想に慣れてきた段階で、本式の瞑想法に移行していくべきである。ここで私が正式な瞑想法としておすすめするのは、やはり今流行の「マインドフルネス」の元となった、お釈迦様が説かれた仏教本来の瞑想法である「ヴィパッサナー瞑想」である。この瞑想法は方法論自体は至って単純で、誰でも一日もあれば覚えられるものでありながら、そこから得られるものは実践を続けた人の人生を根本から変えてしまうほどに価値がある。何しろ、この世のあらゆる苦しみを滅ぼすと言う教えを説く仏教の、具体的な実践法こそがこのヴィパッサナー瞑想なのだ。それが2500年もの間、世界中のあらゆる国々の何千万もの人々によって実践され続けてきたのだから、これほど信頼できるものはないであろう。

 

それでは以下がヴィパッサナー瞑想の具体的なやり方である。

 

1、半跏趺坐(片方の足をもう片方の脚の腿に乗せて組む坐法)か結跏趺坐(両方の足をそれぞれ別の脚の腿の上に乗せて組む坐法。) で座り、尾てい骨から頭頂まで背筋をピンと伸ばす。両手は重ねて足の上に置き、下腹部の前で両親指の先を付けて円を作る。これを法界定印という。ちょうど下の如来像のような形である。

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2、数回深呼吸をして気分を落ち着ける。

3、息を吐く時に心の中で「吐いている」と実況する。同じく吸うときにも「吸っている」と実況する。

4、心の中に雑念が浮かんできた時は、それを押さえつけようとせずただ「雑念」と実況する。音や臭いなどが気になる時も心の中で「雑音」や「臭い」と唱える。

 

この瞑想法の核となるのは、普段無意識に自分が接している感覚や思考を、一切の判断を交えずただそれそのものとして気づき観察することである。非常に単純明快な方法であるが、これを日々実践すると驚くべきほどに自分の心が軽くなり、長年のわだかまりが解消していくのがわかる。

 

 

なぜこのような方法によって心理的な苦しみが解消されるのか。それにはある程度の仏教の教えに関する知識が必要となる。先にも書いたように宗教というと毛嫌いされる方もいるかも知れないが、古代ギリシャ人と並ぶほどに論理的な民族であるインド人が作り出した仏教やヨーガの教えは、現代的の科学的価値観に照らし合わせても十分に納得できるほどの人間の心理やこの世界の原理というものに対する洞察に満ちている。

 

次回は現在の私の持てるだけの知識を使って、少しそうした方面について解説してみようと思う。何かの宗派に入れなどと勧誘するつもりは毛頭ないが、このような考え方を知っていると、これから精神的な健康というものを上手く維持していくために有益となる部分が多分にあると信じるからである。